<実話>生きる意味を失って自殺未遂した私が回復するまで

カチカチカチカチ。
何回私はカッターを繰り出す音を聞いたか分かりません。
その度に私の腕は赤くなっていきました。
両親の離婚、不登校、カルト宗教からの脱会、親友との別れ、リストカット、オーバードーズ。
性別はトランスジェンダーMtF。
ちょっと普通の人では考えられないような人生を送ってきました。
それでも今、こうして体験談を情報発信できるほどに回復しました。
そんな私があなたに伝えたいこと、それは
「生きる意味を取り戻そう」
ということです。
それでは私が小学生だった頃へと時計を巻き戻しましょう。
両親の離婚
私が小学4年生のとき、両親は離婚しました。
夫婦関係がうまくいってなかったみたいです。
毎日毎日夫婦げんかして怒号を浴びせあっていました。
挙げ句の果てには別居。
もうめちゃくちゃでした。
母親のほうに引き取られた私ですが、母親は私に愛情を注いではくれませんでした。
朝ごはんはなし。毎日怒鳴られ、人格を否定されました。
「お前には生きてる価値はない」
この言葉は今でもずっと心の中に焼きついています。
そしてあるとき警察沙汰になりました。
私がカッターを振り回したからでした。
そうして児童相談所とも話し合いになり、親権が父親のほうに移されました。
その後しばらくは平和な生活で、休んでいた学校にも毎日行けるようになりました。
そんな日々が続けばよかったのですが…
不登校のはじまり
5年生になって数学の本に出会い、私は微分積分を勉強していました。
「面白くて眠れなくなる数学 プレミアム (桜井進)」という本でゼータ関数を知り、私は数学や物理を勉強するようになりました。
そんな私にとって学校の授業は退屈でした。
なので中学受験すればもっとレベルの高い教育が受けられると思って、公立の中高一貫校を受験しました。
1年間の受験勉強でしたが、倍率8倍の狭き門を突破できました。
しばらくは達成感にあふれていて幸せでした。
ですが、いざ授業が始まると思いのほかつまらなくてがっかりしました。
数学の授業は文字式の説明から始まり、理科は植物の分類とかやってました。
周りの友達で本当に波長が合う人もいなくて、仮の友達をつくって毎日適当に過ごしてました。
「痩せっぽっち」とバカにされたり、仲間外れにされることもありました。
ひとりぼっちでした。
そんな毎日に限界が来るのも自然なのかもしれません。
中学2年の夏休みから完全に学校に行けなくなりました。
毎日がつまらなくて、生きる意味を失っていました。
駅を通過していく急行列車をぼーっと眺めては、「何のために生きてるんだろう」と思い詰める日々。
時には自殺を考えました。
本屋に立ち寄って生きる意味を探したり、検索して探したりしていました。
そんな時に出会ったのがカルト宗教です。
親鸞会との出会い
親鸞会。
「すべての人を絶対の幸福にする」というスローガンを掲げています。
親鸞会によれば絶対の幸福になることこそが生きる意味であり、生きている間にその幸せを手に入れられるとのことでした。
生きる意味を失っていた私はその罠に落ちました。
「生きる意味」と検索したら親鸞会関係のサイトが出てきて、思わずメルマガに登録してしまいました。
そして気づけば全25回のビデオコースにも参加していて、「生きる意味はこれしかない!!」と思うようになっていきました。
親には内緒で学校に行かず毎週親鸞会の支部に通い、教義の理解を進めていきました。
「絶対の幸福になることこそが生きる意味」
「絶対の幸福にならずに死ねば地獄に落ちる」
「絶対の幸福になるには親鸞会しかない」
…
気づけば完全にマインドコントロールされていました。
1日中ずっと法話を聞くか勧誘していました。
勧誘というのはSNSを使ってDMを送りまくったり、noteを書いたりする作業のことです。
2人私の勧誘で親鸞会に入っていきました。
今はどうなっているか知りません。
今では罪悪感でいっぱいですが、当時はそれが最高の善だと思ってやっていたわけです。
それこそ親鸞会が救世主であるかのように。
そんなふうに、「救われないと地獄に落ちる」と必死になっていました。
3年間必死に救済を求めて親鸞会漬けになっていた私ですが、あるとき事件が起きます。
親鸞会からの脱会
高校2年生の12月から精神的に不安定になり、親鸞会の行事になかなか参加しなくなりました。
そんなとき、ふとネットで親鸞会のことを検索してみたんです。
今まではネットは事実無根の誹謗中傷だらけだから絶対見るなと言われていたんですが、なぜか見てしまいました。
すると、そこには数々の驚くべき事実が証拠画像や動画とともに上がっていたのです。
「親鸞会はF館の5階建てと発表しているが、実は6階建てで最高層は会長専用ルームだった」
「会長の著作は実は盗作まみれだった」
「親鸞会の勧誘の中で大学生が過労死したことがあった」
「親鸞会は会計報告を全くしていない」
などなど…
私の前にはそのとき2つの道がありました。
このまま親鸞会に留まるか、親鸞会を脱会するか。
親鸞会を抜ければ一生救われずに地獄に落ちるとずっと教えられてきました。
ですが、このような事実をひた隠しにし続ける親鸞会をもはや信用できなくなっていたのも事実です。
私は揺れました。
家族にも内緒だったので誰にも相談できず、夜に洗面所で地獄の恐怖を思い出してうずくまって泣いたこともありました。
そんなとき出会った本が、「なぜ人はカルトに惹かれるのか -脱会支援の現場から- (瓜生崇)」です。
https://www.amazon.co.jp/なぜ人はカルトに惹かれるのか-脱会支援の現場から-瓜生-崇/dp/483188779X/ref=sr_1_1?adgrpid=98705920543&hvadid=649207779977&hvdev=c&hvlocphy=1009333&hvnetw=g&hvqmt=e&hvrand=18336867814031635086&hvtargid=kwd-903714696908&hydadcr=3636_13652340&jp-ad-ap=0&keywords=なぜ人はカルトに惹かれるのか&qid=1681794328&sr=8-1www.amazon.co.jp
瓜生さん自身が悩み、親鸞会を脱会したことを赤裸々に書いてある本です。
読み終わって私は泣きました。
そして脱会することを決断しました。
すぐに瓜生さんに連絡をとり、「私は地獄に落ちるのでしょうか」と聞きました。
すると瓜生さんは「地獄に落ちることは絶対ない」と言ってくれました。
私はまた泣いてしまいました。
1ヶ月間ずっと悩んだ末、親鸞会の講師の人たちにもう関わらないことを告げて脱会しました。
本当につらい日々でした。
毎日毎日布団の中でうずくまって泣いていました。
地獄に落ちることが怖くて朝まで寝れない日もありました。
親鸞会で出来た友達や恩師といえる存在もすべて失い、居場所を失い、またひとりぼっちになってしまいました。
それがつらくて何回親鸞会に戻ろうかと思ったかわかりません。
ですがもう取り返しのつかない決断をしたんだと思って新しい日々を送ることにしました。
*親鸞会脱会の詳しい経緯についてはこちらの記事をどうぞ。*
https://hope-mitsuki.hatenablog.com/entry/shinrankai-dakkaihope-mitsuki.hatenablog.com
ここから平和に生きれるかと思いきや、試練はまだまだ続きます。
うつ病発症
脱会のショックで布団から出れなくなり、廃人状態になっていました。
通信制高校に通っていたので授業は出なくて済んだのはよかったです。
しかし、友達はできず毎日孤独でリストカットをするようになってしまいました。
心配した家族に精神科に連れられ、うつ病と診断されました。
薬が処方され、それを飲む毎日。
病気になってしまった自分が惨めで欠陥品だと思っていました。
「こんな世界に生まれてくるべきじゃなかった」
「誰も私の傷なんかわかってくれない」
「寂しい」
そして私の傷を慰めてくれる人を求めてTwitterを始めました。
ここでもトラブルが発生しました。
親友だと思っていたのに
Twitterでアカウントをつくりました。
最初は反応がなかったアカウントでも、次第にフォロワーが増えリプライも増えうれしくなっていきました。
そしてあるとき高校生の人にDMして、すぐに打ち解けて仲良くなりました。
次第に親友だと言ってくれるようにもなりました。
しかし、私の気分が下がってしまったときに相手の態度は豹変しました。
リストカットしてしまったことを告げると「次そんなことがあったら縁を切る」と言われてしまいました。
もちろん私にも悪いところはありました。
ですが相性が合わなかったのか、次第にすれ違うことが増えてしまいました。
そしてあるとき言い合いになり、ブロックされてしまいました。
私はそれで親友を失い、自分の存在を否定していくようになりました。
Twitterを使うのも怖くなり、自分の殻に閉じこもるようになっていきました。
人と関わってもまたあのようなことになってしまうと思って怖くて、人間関係を遮断するようになりました。
毎日布団にこもり、生産性なく寝て起きるだけの日々。
宗教を出ても結局は虚しい人生になるんだと親鸞会の教義を思い出しました。
そんなことが3ヶ月以上続き、ついにオーバードーズしてしまいました。
カフェイン錠剤を24粒口に含んで水で流し込み、生死の境をさまよいました。
救急搬送され、父親が心配して病院に駆けつけてくれました。
ポカリスエットを飲んでもすぐ吐いて、食べ物を食べてもすぐ吐いて…
心拍数は140以上。
そんな状態が2日間続きました。
家族に「もう二度とこんなことはするな」と言われました。
その後病院でカウンセリングを受け、ゆっくり休むように言われました。
そのとき出会った本が「14歳からの精神医学 (宮田雄吾)」です。
https://www.amazon.co.jp/新版-14歳からの精神医学-宮田-雄吾/dp/4535984972
こんなことが書いてありました。
「生きる意味がないと考えて生き続けるのは苦しい。だから「生きる意味があるか」という絶対的な真理を追い求めるより、「どう生きれば、生きる意味が生まれるか」を考えてほしい」
この言葉に勇気づけられ、少しずつ外の世界へと足を進めていきました。
回復への第一歩
まずは怖かったTwitterを始めてみることにしました。
またあんなことになるんじゃないかと怖かったですが、意外とみんな優しく受け入れてくれました。
自分の今までの体験を話すと、「つらかったね。本当にがんばった。つらいことがあったらいつでも言ってね」と言ってくれました。
思わず涙が出てしまいました。
そして同じ通信制高校の人たちとつながって、電話したりして楽しく過ごしています。
昔のような重い孤独感は薄れていきました。
ブログを始める
そして、この体験談を多くの人に共有して役に立てたらと思い、ブログを始めました。
すると多くの共感の声が寄せられるようになったんですね。
「しずくさんつらかったですね」
「私もしずくさんのように前向きに生きたいです!ありがとうございます」
本当にうれしいです。
今ではブログが私の仕事であり、私の居場所です。
自分の居場所は自分でつくる。
大事だなと思います。
今は
今ではリストカット、オーバードーズはしていません。
完全に心が晴れることはないのかもしれないと思いながらも、少しずつ「生きる意味」を取り戻しつつあります。
私の夢は、今苦しんでいる人たちに生きる意味、生きる希望を与えることです。
私が生きる意味を失ってカルト宗教に入り、薬物大量摂取で自殺未遂してしまったように、多くの人が今も苦しんでいます。
あなたもそうかもしれません。
そんな人たちを励まし、希望を与える言葉をこのブログで綴っていきたいと思います。
今あなたが暗闇の中でもがいていたとしても、必ず出口がやってきます。
本当です。
そのためには、あなたにとって本当の「生きる意味」を取り戻すことこそが回復への鍵となります。
私も経験したので大丈夫です。
一緒に希望を取り戻しましょう。
少しでも共感していただけたならうれしいです。
PS.
よければ私とInstagramで友達になってくれるとうれしいです。
悩み相談とかなんでも受け付けてます!DMまでどうぞ!
IDは @shizuku1644 です!
新大学1年生のみなさんは新興宗教の浄土真宗親鸞会に気をつけてください
新大学1年生のみなさん、おめでとうございます!
私の友達にも今月新大学1年生になる子がいて、これから新しく始まる日々にワクワクしてると言ってました。
ですが、ここでひとつ気をつけてほしいことを話します。
それは新興宗教の勧誘です。
ここでは私が元信者だった新興宗教の親鸞会を例に出し、どういう手口を使ってくるのか、どう対処したらいいのか、どう断ったらいいのかを書いていきます。
新興宗教とは
まず、新興宗教とはどういうものなのでしょうか。
色々定義はありますが、一言で言えばカリスマ的な教祖が立ち上げた歴史の浅い団体です。
今問題になっている統一教会や、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教なども新興宗教の一つです。
他にもこれから紹介する親鸞会やエホバの証人、幸福の科学、摂理、顕正会、創価学会が入ることもあります。
もちろん新興宗教の100%が悪とまでは言わないですが、新興宗教に関するトラブルは絶えません。
それはなぜなのかというと、独裁的な教祖がいてどんどん組織がおかしくなっていくからです。
たとえば町にあるお寺では布教師の人はいても、教祖はいません。
そこまでのめり込む人もほとんどいません。
ですが新興宗教の場合、教祖が必ずいて信者は全員教祖の言いなりです。
大抵の場合教祖はどんどん傲慢になり、人に迷惑をかけてお金や信者を集めて組織を大きくすることも厭わなくなります。
そのため、新興宗教の多くは上下関係の厳しい腐敗した組織が多いです。
私は宗教が悪だとは言いません。
仏教や神道、キリスト教など世界中にはいろいろな文化があります。
ですが新興宗教では教祖に問題がある場合がほとんどです。
洗脳とマインドコントロールの違い
新興宗教の大きな特徴として、毎年多くの人が入会するも多くの人がやめていく場合がほとんどです。
理由は活動が激しく、ついていけない人たちはやめていくからです。
そのため毎年多くの人を勧誘する必要があります。
中でも特に新興宗教はあくどい勧誘方法を取っていて、その方法の一つにマインドコントロールがあります。
マインドコントロールは洗脳と混同されがちですが、両者には大きな違いがあります。
まず、洗脳は暴力や監禁などして相手を従わせる方法です。
イスラム国など、海外の極めて危険なテロ組織が取っている方法です。
ですが日本でそのようなことをすれば即逮捕となるので、洗脳を使うのは暴力団くらいです。
一方、マインドコントロールとは心理学的に相手の決断を誘導していく方法で、暴力や脅しは一切ありません。
むしろ優しく接してくる場合がほとんどです。
「新興宗教の勧誘は無理矢理で怪しい場合がほとんどだろう」というバイアスからか、毎年多くの大学生がマインドコントロールを見抜けずに知らず知らずの間に宗教にドハマリしてしまいます。
私はそのような現実を変えるべく、このブログでも新興宗教の実態を暴露してきました。
ですが、なぜ新大学1年生が特に注意が必要なのでしょうか?
なんで新大学1年生を狙うの?
新興宗教はなぜ新大学1年生ばかりを狙うのかというと、新大学1年生は新生活に慣れていないからです。
新しい環境で新しい人間関係を作ったり、場合によっては一人暮らしをしたりして生活が一気に変わります。
新しいことだらけで、慣れないことも多いでしょう。
また、多くの人は大学のサークルに入ります。
サークルで多くの人と関わり、色々な交流ができます。
そのように環境が大きく変わる場面で、人の心はもろく変わりやすくなりがちです。
例えばサークルの優しい先輩が新興宗教団体の回し者だったり、イベント会場が宗教団体の支部だったりします。
そのように、非常に早いスピードで変わっていく環境に紛れ込むようにしてやってくるのが新興宗教です。
とはいえ、もちろん大学2年生以上でも勧誘される場合があるので気をつけてください。
では実際にどんな手口が使われるのか見てみましょう。
マインドコントロールの手口
ここでは私が信者だった浄土真宗親鸞会を例に出して、マインドコントロールの実態を明らかにしていきます。
親鸞会は新興宗教の中でもかなり凶悪な部類で、偽装勧誘を行っています。
偽装勧誘とは、最初に宗教だと明かさずに勧誘することです。
なので親鸞会に勧誘される人の多くは、最初は宗教の勧誘であるとすら気づかずに話に乗る人がほとんどです。
最初は「古典に学ぶ会」「哲学に学ぶ生き方講座」「鎌倉時代の文化に触れるイベント」みたいな触れ込みで人を集めて、そこから少しずつ徐々に宗教の話に移っていきます。
彼らは必ずと言っていいほど優しく接してきます。
それも少し過剰なほどです。
慣れていない人は「本当にいい人たちなんだ」と思ってしまい、「いい人たちの話だから本当なんだ」と思ってしまうケースが大半です。
「悩みごとはあるの?」とか聞かれて話しても、彼らは真剣にあなたの話を聞いてくれるでしょう。
そして「実はこの人生にはたったひとつの生きる意味があるんだ」みたいな話をし始めます。
そこから親鸞会の教えにつながっていくわけです。
もちろん、本当にいい人たちなら全く問題はないです。
ですが親鸞会かどうかを一発で見分ける言葉があります。
それが「絶対の幸福」です。
「絶対の幸福」という言葉が一度でも出てきたらそれは親鸞会です。
急いで逃げましょう。
統一教会や摂理などの場合は、「聖書」や「福音」という言葉が出てきたらかなり危険です。
聖書に失礼ですがちゃんとしたキリスト教の団体は堂々と布教しますし、ダミーのイベントの中で「聖書」「福音」とか言ってたら危険極まりないです。
電話に出るふりをして「親が倒れた」とでも言って急いで逃げましょう。
もしくは家族や友達に直接電話をかけてもらってください。
危険な言葉のリストはこんな感じです:
「絶対の幸福」
「本当の幸せ」
「生きる意味」
「人生の目的」
「因果の道理」
「輪廻」
「魂のステージ」
「救済」
「地獄」
「聖書」
「福音」
「死」
などなどです。
話の内容は大体「底しれない寂しさの解決方法」とか、「本当の幸せの見つけ方」とか、「本当の人生の目的は実は2000年以上前に説かれていた」みたいな感じです。
聞いてて少しでも「怪しいな」「なんか雰囲気合わないな」と思ったらすぐに帰りましょう。
閉鎖された空間の中では長い間留まればとどまるほど不利になります。
実際、断れきれずにずるずると宗教団体にいて10年以上経過したという人もたくさんいます。
親鸞会の信者の中には大学を中退した人がたくさんいます。
つまりは、学業を放棄するほど宗教に熱中してしまったということです。
これでは何のために大学に入ったのかわからないですよね。
なのでどんなイベントにしろカフェでの話にしろ、違和感を感じたらすぐ帰りましょう。
連絡先を聞かれても絶対に教えないでください。
最近は新興宗教だけでなくマルチ商法の被害も増えているので深刻です。
公認サークルだけ選ぶ。インカレには十分注意を
親鸞会など、あくどい団体はダミーサークルを使う場合があります。
つまりは宗教の勧誘のためにサークルを作って、表向きには普通のサークルのフリをして活動しているものです。
外からは分かりづらいですが、一旦入ってしまうとマインドコントロールが始まります。
最初はすごく優しく歓迎されると思いますが、1ヶ月も経つと宗教の話が中心になります。
その頃には優しい人たちに囲まれて「申し訳ないな」という気持ちになり、なかなか抜け出せなくなります。
そして毎日のように宗教の話を聞くようになり、どんどん沼にハマっていくのです。
ですがここ最近は大学側の努力もあり、ダミーサークルは排除されていくようになってきました。
サークルの実態を大学で調査し、健全なサークルに「公認」というお墨付きを与えるというシステムが多くなっています。
なので大学から公認を受けていない非公認サークルはやめたほうがいいでしょう。
新興宗教やマルチ商法、闇バイトなどの温床になっている場合が多いです。
また、特に注意してほしいのがインカレです。
インカレとは複数の大学の人が参加できるサークルのことで、特定の大学に属していないので調査が困難です。
インカレも健全なものが多いですが、中には新興宗教の温床となっているものもあります。
不安な場合は大学の公認サークルだけに入るのが一番です。
XのDMにも注意
コロナ禍以降、対面での勧誘だけでなくSNS上での勧誘にも力を入れるようになってきました。
手口はこうです。
Xのプロフィールに大学名を書いていると、同じ大学名を名乗る先輩がフォローしてきてDMで話すことになります。
最初は全く宗教の雰囲気は出してきません。
DMで数日間話が続いたあと、「Zoomしない?」と誘ってくる場合があります。
そこでは人生の目的の話がされたりします。
そして数回Zoomで話したあと、「浄土真宗学院」というサイトを紹介してきます。
「浄土真宗学院」というサイトに誘われた場合、必ず親鸞会が関わっているので逃げてください。
統一教会や摂理などの場合はよくわかりませんが、Zoomで宗教の話がされる場合が多いみたいです。
「先生」と呼ばれる人を紹介される場合もありますが、極めて危険です。
少しでも怪しいと思ったらすぐ逃げてください。
最後に
ここまで色々書いてきましたが、結論は「怪しいと思ったらすぐ逃げよう」です。
どんな宗教団体といえども、ある時点で宗教の話をし始める瞬間があります。
その瞬間、一瞬でも「怪しいな」「なんか思った雰囲気と違うな」「この人たちの言ってることは納得できないな」と思うことがあるはずです。
その瞬間を見逃さないでください。
あなたの直感はたいてい当たります。
その直感に従えずに宗教団体に入り大学を中退し、人生を棒に振った人たちが山ほどいます。
なので怪しいと思ったらはっきり断ってください。
それが一番大切です。
あと、大学生活で不安になることもたくさんあると思います。
その場合は大学の先生も頼ってみてください。
先生や教授の人たちと親しくするとわからないところを聞けたり、研究内容を知れたりといいことばかりです。
色々な人と交流してひとつの場所に留まることなく、自由に生きてください。
悩み事があったら家族や友達、先輩、先生、バイト先の人たちなど色々な人に相談してみるといいと思います。
最後に。
色々書きましたが、人生で大学生はたった一度きりです。
勉強、サークル、バイトとやることづくめですがとにかく楽しんでいきましょう。
不安になるときもあると思います。
そのときは周りの人を頼ってください。
精一杯生きてればいいことあります。
心から応援してます!!
あと、私でよければ新興宗教の相談にのるのでいつでもDMください。
インスタのIDは @shizuku1644 です。
それでは最後まで読んでくださりありがとうございました。
親鸞会の菊谷隆太さんや会員さんに伝えたいこと
私は親鸞会の元信者です。
これまで、私はこのブログで親鸞会批判を繰り返してきました。
親鸞会の偽装勧誘の実態や地獄脅し、間違った教義などを書いてきました。
ですが今になって思うのは、親鸞会は間違いだらけだけどそのモチベーションは素晴らしいなとも思う、ということです。
昔親鸞会で説法をしてくださった、菊谷さんには本当によくしていただきました。
だからこそ、今になって伝えたいことがあるのです。
この記事はあくまで私の正直な気持ちを忘れないように書いたまでです。
他力信心を通して見た世界
ここで初めて書きますが、私は去年くらいに浄土真宗でいう信心を頂きました。
阿弥陀仏の本願が計らいなく聞けるようになり、来世に浄土往生を遂げることに疑いありません。
親鸞聖人はこう言われています。
たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。
-教行信証-
どうしてよりによって私が信心を頂くことができたのか、不思議です。
ですが思い返してみれば、もし親鸞会や菊谷さんの存在がなければ、私は信心を獲ることができませんでした。
親鸞会の存在によって初めて阿弥陀仏の18願の存在を知り、そして信心決定という世界を知りました。
今思えばその多くは間違った教えでしたが、それでも私にとっては初めて浄土真宗に触れる機会になりました。
親鸞会の言う、「浄土真宗は凋落の一途」は正しいのかもしれません。
多くの人が本願の御心に触れることなくこの世界を去っていきます。
今はSNSの時代で、あらゆる情報が溢れかえっています。
その中で真実は一握りです。
多くの人が真実に出会うことなくこの世界を去ります。
昔私が中学生だった時を思い返します。
生きる意味の答えを求め、図書館を渡り歩いたのを覚えています。
「こんな苦しい世界、一体何のために生まれてきたのだろう」
そう思う人たちは少なくないはずです。
親鸞会や、菊谷さんのモチベーションもそこにあると思います。
昔、菊谷さんはこんなことを話しておられました。
「日本には自殺をしようと悩んでいる若者がたくさんいる。自殺をした人、その周りの人、未遂で終わった人、みんな生きている意味がわからず苦しんでいる。本当の仏教の教えを伝えれば必ず救えるはずです」
菊谷さんがほぼ毎日のようにYouTubeを更新し、仏教の教えをなんとか分かっていただきたいと苦労される姿には尊敬します。
何が間違っているのか
ですが、私は親鸞会を離れました。
一番大きな理由は「絶対の幸福になれなかったから」です。
親鸞会のみなさんや菊谷さんは、「絶対の幸福になることこそが生きる意味」と毎日話しておられます。
しかし、私が絶対の幸福を目指して求道を始めてから3年経っても絶対の幸福は手に入りませんでした。
そのことを相談すると、「10年や20年経っても絶対の幸福になれない人はたくさんいる」と言われました。
最初は一年以内に絶対の幸福になれるかな、と思って求道を始めましたが、気づけば生きている間になれるかどうかすら分からなくなってしまいました。
浄土真宗は一念の救いを説く教えです。
親鸞会でも次の言葉が紹介されていました。
そのゆえは、如来の大悲、短命の根機を本としたまえり。もし多念をもって本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。されば真宗の肝要、一念往生をもって淵源とす。
-口伝抄-
覚如上人が「一念往生こそが真宗の肝要だ」と言われています。
浄土真宗は今この瞬間に、この姿のままで救われる教えです。
阿弥陀仏は私たちに善をすることを求めていません。
ただ信心をもって念仏するのみです。
親鸞会の教えでは一念往生を未来に遠ざけているような気がします。
三願転入の教えによって宿善を貯めるように教えられています。
「最後は善は役に立たないと知らされるが、それまでは聞法善をしていかないといけない」と言いますが間違いです。
阿弥陀仏の本願は無条件の救いです。
それを受け入れるかどうかという問題です。
親鸞会では信心を獲ずに死ぬと無間地獄に落ちるとしますが、それは間違いです。
阿弥陀仏は決して私たちのことを見捨てはしません。
そのことを素直に信じられるかどうか、それだけだと思います。
親鸞会の未来
もうすぐ会長がこの世を去られます。
今こそ親鸞会が生まれ変わるときではないでしょうか。
偽装勧誘をやめて会計報告をするようになり、正しい浄土真宗の教えを伝える団体になれば、それこそ親鸞聖人の御心にかなうはずです。
親鸞会で30年以上活躍された菊谷さんやその他の人たちにとっては受け入れがたいでしょうが、これが事実です。
今の親鸞会の教えで浄土往生できる人は多くないでしょう。
もちろん阿弥陀仏の本願は不可思議なので私にはわかりませんが、親鸞会が一念往生からかけ離れた教えを説いているのは事実です。
代表的なのが三願転入です。
三願転入は教行信証の化土巻に一箇所言及があるだけで、重要な教えとは言えません。
三願転入はあくまで、聖道門を通られた親鸞聖人の体験談と考えるべきです。
最初から18願を心にかけている私たちには関係ありません。
もし全ての人が19願から始めなければならないのなら、その間に命が終わってしまいます。
親鸞聖人が説かれた一念往生の教えが無駄になってしまいます。
阿弥陀仏の本願はただいまの救いだということを分かっていただきたいです。
親鸞会の「浄土真宗を伝えたい」という熱量だけは素晴らしいと思います。
ですがもし親鸞会が今の路線のまま続いていくのであれば、そこに明るい未来はないと思います。
真実に気づいた会員さんたちがどんどん親鸞会を辞めていっています。
「聞法の敗残者」で片付けられない現実がそこにあります。
菊谷さんをはじめとした親鸞会のみなさんには、ぜひ信心の沙汰をしていただきたいです。
そして、今伝えている教えが本物なのか、もう一度考えていただきたいです。
親鸞聖人の教行信証と真剣に向き合い、一度深く考えてみてはいかがでしょうか。
私は親鸞会の三願転入の教えは間違いだと思います。
来世の浄土往生がかかったことです。
一度考えてみてください。
もし親鸞会関連で悩んでいる人がいれば、宮田さんが力になってくださると思います。
私はまだ教学の勉強も足りず、経験も浅いので分からないことだらけです。
この文章を読んでくださっている人にはぜひ一念往生の教えに出会い、他力の信心を獲られることを願っています。
また、何か疑問点などあればいつでも連絡ください。
インスタのIDは @shizuku1644 です。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
親鸞会の言う因果の道理は親鸞聖人の教えと真逆です
このブログも最近は書くことがなくなってきたので、親鸞会の教義についても書いていきます。
私が親鸞会にいた頃、「因果の道理」の話は100回以上聞きました。
善因善果、
悪因悪果、
自因自果。
「良いことをすれば良いことが返ってきて、悪い行いをすれば悪い結果が返ってくる。すべて自業自得ですよ」と何度も聞いたのを覚えています。
ちなみに「善因善果 悪因悪果 自因自果」がどのお経に説かれているのかは教えてくれません。
少なくとも私は見つけることができませんでした。
もちろん、世間一般の倫理道徳の範囲で言えば因果の道理に悪い点はありません。
悪をしないように戒めるのは大切なことでしょう。
そのような倫理道徳の視点は一旦置いておいて、今回は親鸞聖人の教えの視点から書いていきます。
この因果の道理の何が問題なのでしょうか。
自力を勧める親鸞会
親鸞会では「善をするのは信心を獲る助けになる」と教えています。
信心を獲るというのは阿弥陀仏の本願に自身を完全に委ねることで、「善をしないと助からないんじゃないだろうか」のような自力の心が完全に消えた状態を言います。
つまり、親鸞会は自力を勧めていることになってしまうのです。
善にすがって助かろうというのが自力の心なので、善をせよというのは自力を心がけよという意味です。
こう指摘すると、今度は「信心を獲る瞬間に自力の心は消えるが、それまでは善が必要なのだ」と言ってきます。
これも間違いです。
親鸞聖人は常に因果の道理を信じる危険性を説いています。
罪福信ずる行者は
仏智の不思議をうたがいて
疑城胎宮にとどまれば
三宝にはなれたてまつる
-正像末和讃-
「罪福信ずる」とは良いことをすれば良い結果が得られる、悪いことをすれば悪い結果が起きると信じることです。
つまりは因果の道理を信じている人です。
そのような人は「仏智の不思議をうたがいて」つまり阿弥陀仏の本願を疑っているので浄土には往けないのだと戒められています。
事実、親鸞聖人は「因果の道理を信じることは阿弥陀仏の救いの妨げになる」とは言われても「因果の道理を信じろ」とは一言も言われていません。
もしそのような根拠があれば出してほしいのですが、いかがでしょう?
罪福ふかく信じつつ
善本修習するひとは
疑心の善人なるゆえに
方便化土にとまるなり
-正像末和讃-
正像末和讃だけでも、罪福に関する記述がいくつもあります。
「因果の道理を信じて善行に励む人は阿弥陀仏の本願を疑っているから、報土には往けないのだ」と言われた単純明快なお言葉です。
信心決定とは自力の心が無くなり、阿弥陀仏の本願に完全にお任せする他力の心を頂くことです。
親鸞会は因果の道理に基づき善を勧めていますので、親鸞聖人の教えとは真逆です。
自力を戒める親鸞聖人
自力諸善のひとはみな
仏智の不思議をうたがえば
自業自得の道理にて
七宝の獄にぞいりにける
-正像末和讃-
「自業自得の道理」こそが因果の道理です。
親鸞聖人は「因果の道理を信じる自力の心では、絶対に浄土往生はできない」と繰り返し教えられました。
万善の自力、勤修を貶す、円満の徳号、専称を勧む。
-正信偈-
親鸞会は「自力の心でやる善がよくないのだ、善行が悪いなどとどこにも言われていない」と言います。
生活する上で良いことをしていくことはもちろん大事でしょう。
ですが、阿弥陀仏の本願においては善は一切不要なのです。
善をしようとする心がそもそも自力なのですから、わざわざ善を勧める意味が分かりません。
親鸞聖人は「善では助からない、念仏を称えよ」と常に言われています。
「善は一切不要、ただ念仏を称えて救われる」と完全に阿弥陀仏にお任せしたのが信心です。
親鸞会は善を勧めて念仏を貶しますが、今の正信偈のお言葉と真逆ですね。
もしあなたが浄土往生を願うならば、計らいを交えず南無阿弥陀仏を称えてください。
今この瞬間に救ってくださるのが阿弥陀仏の本願です。
親鸞聖人のお言葉の裏をかこうとするのではなく、文字通りにそのまま受け止めてください。
阿弥陀仏は今この瞬間にも働きかけてくださっています。
では。
全てを終わりにしたいと思うあなたへ
この世界は不平等です。
恵まれた環境に生まれて不自由なく生き、周りの人から大切にされる人もいます。
その一方で凄惨な環境に生を受け、毎日を生き地獄のような苦しみで必死に耐えている人もいます。
人は人生に絶望したとき、人生を終わらせることを考えます。
むしろその選択肢しか残らなくなるのです。
世間では命を大切にしようよとか、宗教では死んだ後の世界には怖いものが待っているぞとか、色々なことを言う人がいます。
ですがそれらの言葉はしょせんうわべだけです。
本気で人生に絶望し、死ぬ一歩手前にいる人にしかわからない世界があるのです。
この記事では自殺未遂をしたことのある私が人生について書いてみます。
自分の存在を消し去りたかった
長くなりますが私の話をさせてください。
私は小学生のころから母親から虐待を受けていました。
学校から帰ってくると怒り狂った母親がいて、ランドセルを投げられ、馬乗りになって顔を殴られました。
母親は常にヒステリックでした。
常に物に当たり、家事を放棄して愚痴を言い続けていました。
時が経ち、私は父親のほうに引き取られて中学校に通うようになりました。
ですが私は学校で馴染めませんでした。
数学が極端に好きで他の教科に関心を持たず、苦手だった私は次第にバカにされるようになっていきました。
そして私は生きる意味に悩み、親に内緒で新興宗教の団体に入りました。
その団体は「人生の目的は絶対の幸福になること。生きている間に必ず絶対の幸福になれる」と教えていました。
私は宗教にどハマりしました。
気づけば私は学校に通わなくなっていました。
3年の月日が過ぎ、私は高校生になっていました。
毎日法話を聞いたり、ネット上で布教したり、宗教の人が紹介してくれたバイトでお金を稼いでお布施したりしていました。
毎日部屋にこもって13時間以上作業していました。
ですがあるとき、私は肩の力が抜けたようにだるくなってしまいました。
たまたま出会った本を読んでみたら、その宗教団体のマインドコントロールの手口がびっしり書かれていました。
まさに自分が受けていた勧誘、囲い込みの手口でした。
そして私は宗教をやめました。
心から尊敬していた恩師も、同じく救いを目指していた法友も、将来の目標もすべて失いました。
私は生きる意味を失いました。
今までの時間は何だったんだろう。
なんのために生きてるんだろう。
これから何をして生きていけばいいんだろう。
そういう思いで埋め尽くされました。
毎日布団の中でうずくまって泣いていました。
お風呂の中で髪を洗っているとき、涙があふれてきて止まらなくなりました。
暗い洗面所で歯を磨いているとき、床に倒れ込んで泣いてしまいました。
自分の存在が惨めで憎くて、傷つけたくなりました。
気づけば私は手首をカッターで切っていました。
血が吹き出した数秒はほっとするのですが、そこから後は虚無感で涙が止まらなくなりました。
呼吸するたびに虚無感で震えていました。
私はこの世を去ることにしました。
カフェイン錠剤の箱を薬局で買って一気に口の中に流し込みました。
救急車で病院に運ばれ茶色い液体を何度も吐き出していたとき、私はバカなことをしたと思いました。
心拍数が140まで跳ね上がり、心電図を見たら時々脈が飛んでました。
ですが死ねませんでした。
その様子をTwitterにいつもの愚痴のように書き込みました。
みんなが共感し、慰めてくれると思ったからです。
ですがひとりだけ違いました。
その人は私にこんなふうに言ったんです。
「オーバードーズして? 結局何がしたいの? みんなの同情をひきたいの? バカじゃないの。そんなのに命かける価値あるかよ。いつも自分はガラクタみたいな人間だから〜とか言うけどそんなことないよーって言われたいだけでしょ? 本当はどうなの? 自分の気持ちに正直になりなよ」
図星でした。
私はバカでした。
自分の心に正直になったら、私が命をかけてまでして手に入れたかったのは人の優しさだったのです。
母親に毎日殴られてきて、学校でも孤立して、家族にも相談できずに宗教をやめました。
私はただ、誰かに優しく寄り添ってほしかった。
ただそれだけでした。
自分の心に嘘ついてない?
私はそれまで、人に自分の気持ちを表現することができませんでした。
自ら自分を追い込み、相手から助けに来てくれるのを待つことで優しさを獲得しようとしていたのです。
ですが今になって気づいたのは、素直に生きることの大切さです。
誰かに寄り添ってほしかったら、「寄り添ってほしい」って言えばいい。
しんどかったら、「しんどい」って言えばいい。
話を聞いてほしかったら、「話を聞いてほしい」って言えばいい。
ただそれだけでした。
物事は常にシンプルです。
それをあえて難しく考えるから行き詰まるのです。
人生にひっかけ問題なんてありません。
ただシンプルに、ひとつひとつの問題を解いていけばいいんです。
もちろん、解けない問題もたくさんあります。
それも人生です。
そうしたら解ける問題は何かな、って考えていけばいいんです。
解ける問題からでいい。
ゆっくり解いていけばいい。
人生は競争じゃないし、決まりきった正解があるわけでもない。
そう思います。
一歩踏み出せればそれでいい
吹雪が吹き荒れる雪山の山頂を目指して歩いていたら、しんどくなって諦めそうになる時が来ます。
ですが近くの山小屋を目指したら、「とりあえずあそこまではがんばろう」という気持ちになれるはずです。
人生も同じです。
たとえ今が苦しくてどうにもならなくても、ほんの一歩なら踏み出すことができるかもしれない。
ほんのちょっとでも何かが変えられるかもしれない。
たとえ大きくは変わらなくても、昨日よりかはちょっとよくなるかもしれない。
それでいいんです。
もしあなたが最初の一歩を踏み出すことはできれば、必ず自分の力で歩いていくことができます。
たとえほんの少しだけの行動でも、それでも未来を変える力はあります。
たとえ小さな種であっても、凍りつくような寒い冬が過ぎて暖かい春がやってきたら芽が出てきて、葉っぱを伸ばしてやがて花を咲かせることができます。
私たちにはそんな力があります。
もし今日、昨日とは違う何かをしてみようという気になって未来への種を蒔くことはできたら、あなたは必ず幸せになれます。
人生、小さいことの積み重ねが一番大事なのです。
大きな行動を一発起こしても、急な変化に耐えられなくなって元に戻ってしまうでしょう。
少しずつでいいんです。
できるところから、少しずつ。
ただそれだけです。
人生はさほど難しくありません。
私たちの思い込みが人生を難しくしてしまうのです。
まずは自分の心に正直になって生きてみてください。
見える世界が変わるはずです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
人生に絶望して自暴自棄になっている人へ
人生は決して平坦ではありません。
いい状態が続くこともあれば、しんどい出来事がいくつも重なるときだってあります。
人にはある程度耐える力が備わっています。
しかしそのキャパシティを超える量の苦しみが来たとき、人は壊れるのです。
そんな壊れそうなあなたへ、聞いて欲しい話があります。
生まれてこなければよかったと何度も思った
少しだけ私の話をさせてください。
私は中学1年生のとき、学校で孤立していました。
毎日の通学をする意味がわからなくなり、どんどんしんどくなっていきました。
そんなときにある宗教団体に出会いました。
そこなら救われると思って求道を始め、気づけば3年の月日が流れていました。
結局救われませんでした。
救われなければ地獄に堕ちるぞ、とずっと教えられて救われる日をずっと求めてきました。
ですがそんな日は来ませんでした。
そしてその宗教団体を辞めました。
友達にも布教していたせいで友達はいなくなっていました。
家族にも相談できませんでした。
私はどこに行っても救われないんだろうなと強く思いました。
そしてこの世を去ることにしました。
カフェイン錠剤を大量摂取して心不全で死ぬことを期待しました。
ですが死ねませんでした。
それから先も階段から飛び降りたり、またカフェイン錠剤を大量摂取したりして自殺未遂を繰り返しました。
ある時、私は確実に死ねる方法として電車に飛び込もうと思いました。
急行列車の通過アナウンス。
ここで飛び込めば確実に死ねる。
「もう全てを終わらせよう」
でも私の足は動きませんでした。
そのとき気がついたんです。
本当は死にたくないんだって。
死ぬのが怖いから死なないように自分を傷つけてただけなんだって。
そこから私の人生は少しずつ変わっていきました。
絶望の裏には希望がある
人生に絶望する、なんて簡単な表現ですが、人が絶望するまでのプロセスは長いです。
色々なことを試して、それでもどうにもならなくて、耐え抜いてきたけど限界が来た。
そんな感じです。
人生前向きに生きようよとか、そんなレベルの言葉では救われません。
本気で人生に絶望したことのある人にしか分からないのです。
それでも私は、絶望の裏には必ず希望があると信じています。
私は死にたいと思い行動に移そうとしましたが、電車に飛び込むことはできませんでした。
そのとき、死にたいという絶望の裏に生きたいという希望があることに気づいたのです。
たとえ全てを終わらせてしまいたくなったとしても、その時同時に「このまま終わらせたくはない」という反骨心もあるはずです。
その反骨心こそが生きる原動力です。
確かに、今まで反骨心を持って努力しても成功しなかったかもしれません。
今さら何を言うんだと思われるかもしれません。
しかし、人には絶望すると同時に現状を変えたいと強く願う力があります。
あなたの心に聞いてみてください。
「もし私が生まれ変わったとして、結局何をしたいんだろう?」
私の場合、生まれ変わったら幸せな家庭に生まれて、信頼できる友達がいて毎日楽しく過ごすことが夢でした。
宗教団体にマインドコントロールされて青春の思い出を奪われ、「地獄に堕ちるぞ」というトラウマを背負わされたのが絶望でした。
しかしそのとき、私はただ幸せに生きたかっただけなんだと気づきました。
今まで私は幸せに生きるなんて無理だと思っていました。
血塗られた過去ばかりに縛られ、未来に広がっている無限の可能性を見てきませんでした。
友達なんていつからでもつくれるのに、無理だと勝手に決めつけていました。
ですがその思い込みをやめました。
Instagramで自分の思いを発信し、勉強している風景を投稿したりしていたら繋がりが増えてきました。
中には出会ったばかりの私に対して心配してくれて、すごく長い文章で励ましてくれる人もいました。
そして、その人は今の私の親友になりました。
私の願いはシンプルでした。
「友達がほしい」
ただそれに気づかなかったためにずっと苦しんでいたのです。
もちろん、私も今の親友と別れたらまた絶望するのでしょう。
ですがそうなるかは全く分かりません。
私も人に捨てられるのが恐怖で、友達を束縛したり試し行為をしていた時期がありました。
そうしたら友達と本気のけんかになりました。
「私のこと信じてなかったんだね」
そう言われて捨てられてから、私は試し行為をやめました。
信じすぎはよくないですが、疑いすぎも同じくらいよくないです。
結局、思い込みが人生を苦しくするのです。
シンプルに考えたら、あなたは何を求めているのでしょう?
それがあなたの生きる意味になるはずです。
自分の思考が自分を苦しめている
同じような境遇にいる人でも、幸せな人と不幸な人がいます。
東大に落ちて滑り止めの慶應に入り、人生終わったと自暴自棄になる大学生がいます。
ですが同時に、第一志望の慶應に受かってすごく喜んでいる人もいます。
結果は同じなのに、捉え方が変わるだけで幸せか不幸かが変わるのです。
この世界はしょせん、様々な出来事が連鎖して起きているだけです。
それに私たちが意味付けして、勝った負けたと騒いでいるだけです。
この世界は解釈次第でいかようにも変わります。
「人生落ちるとこまで落ちたけど、ここから上がっていくだけだな」
そう思えたら幸せです。
幸せかどうかはあなたが決めるんです。
すべては捉え方次第なんですから。
人生に絶望したら、そこには必ず変わりたいという思いがあることを忘れないでください。
変わりたいという希望を持つことができたなら、たとえ時間がかかっても必ず変わることができます。
人生は長いけど短いんです。
どうせ死ぬならやりたいことだけやって死にましょう。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
この世界の不条理に絶望している人に伝えたいこと
この世界は不平等で、理不尽なことばかりです。
自分を傷つけた人が幸せそうに生きているなんてよくあることです。
不条理に絶望し、すべてを終わらせたくなるときもあると思います。
ですがその前に、ひとつ聞いて欲しい話があるのです。
世界に絶望して自殺未遂
私の人生は決して平坦な道のりではありませんでした。
中学生のときに新興宗教に出会いマインドコントロールされ、高校生のとき脱会した頃には友達がいなくなっていました。
「地獄に堕ちるぞ」と恐怖心を植え付けられていたトラウマが忘れられず、毎日死の恐怖に怯えながら布団の中でうずくまっていました。
その絶望をかき消すため、気づけば私は自分の手首を切るようになっていました。
自分の手首から血がこぼれる度、私は世界を呪いました。
やがて私はリスカだけでは耐えられなくなり、カフェイン錠剤を致死量飲んでこの世を去ることにしました。
ですが死ねませんでした。
死に損なったとまた死のうとしましたが、図書館である一冊に出会いました。
そこには私と同じように苦しみ悩み、自殺未遂を図った中高生の話が書かれていました。
私以上に凄惨な境遇にある人たちもいました。
ですが彼らは精神科医(その本の著者)に出会い、自分の生きる意味を見つけて新たな人生を歩み始めていったのです。
気づけば私は涙を流していました。
闇の中に光はないとしても
確かに、この世界は絶望で溢れています。
悪徳宗教や悪徳商法で時間もお金も気力も奪われ、絶望している人もいます。
日本の外を見れば、毎日ミサイルに怯えながら泣いている子どももいます。
あのときカフェインを飲んだ私のように、闇の中で人生を終わらせようとする人もいます。
ですが、たとえ世界が闇で光がないとしても、光を想像することはできます。
たとえ現状が苦しくてどうにもならなくて、毎日怯えて泣いていたとしても、それでも光を想像することはできます。
光を見つけることはできなくても、光ある未来を想像することはできます。
今より少しでも幸せな未来を想像する、それが希望なのです。
そしてそれが私たちの生きる意味です。
生きる意味というのは何かを達成するというものではなく、私たちが見つけ出すものです。
今より少しでも幸せな未来を想像して、そこに向かってできることから始めていく。
それが生きる意味です。
昨日よりも今日、今日よりも明日
人は絶望すると先の先の未来までもを考えてしまいます。
将来ちゃんとした仕事につけるかなとか、老後どうしようとか、死んだらどうなるんだろうとか。
ですが、私たちは遠くの未来を見通すことはできません。
それどころか、明日何が起こるかさえわかりません。
未来のことを考えて不安になって絶望する気持ちはわかります。
ですが、未来は誰にだってわかりません。
だからどう想像しようと自由なんです。
今より悪くなっていく未来を想像したら絶望しかありません。
しかし、今よりよくなっていく未来を想像できたらそれは希望です。
確かに、今よりいい未来を想像するなんて不可能かもしれません。
想像しても叶うかどうかはわかりません。
叶わないことだってたくさんあります。
ですが一つだけ言えるのは、想像しなければ絶対に叶わないということです。
昔飛行機を作ろうとした人は、周りの人に空飛ぶ乗り物を作るんだと言って常に笑われていました。
「そんなことできるはずない」
「やるだけ無駄じゃない?」
「どんだけ頭悪いんだよ」
そう言われてきたはずです。
ですが時が経ち、飛行機で世界中の国を旅できる時代がやってきました。
そう、すべての夢は思い描くことから始まるのです。
それと同じように、あなたが幸せになりたいと思うのであれば、幸せな未来を思い描くことからすべてが始まります。
たとえ絶望にあふれた世界で潰されそうになっても、幸せな未来を思い描くことならできます。
昨日が苦しい日だったとしても、今日はちょっとだけよくなるかもしれない。
今日がだめでも、明日なら何か変わるかもしれない。
それが希望です。
どうせ生きるなら、絶望よりも希望を持ちましょう。
頭の中で想像するのは自由なんですから。
できることからでいい
絶望に押しつぶされそうになったとき、できないことにばかり目がいってしまいます。
あの人はできてるのに自分は… みたいな感じで自分ができない人間に思えてきます。
ですが、そんな状況でも必ずできることはあるはずです。
この文章をここまで読まれたあなたなら、できることがたくさんあります。
できることを一つずつやっていけば十分です。
小さくても行動を起こしていけば必ず未来が変わります。
大丈夫です。
私もなんだかんだいって今も生きています。
人生案外なんとかなるもんですよ。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
Xをやめたらメンタルが安定した話<SNS依存>
Xはあらゆる情報で溢れかえっています。
もちろん、必要な情報を取り出すにはすごく便利なツールです。
ですが中には人を傷つける刺々しい言葉や不安を煽る投稿もあります。
私がXを何気なく使っていたとき、タイムライン上のひとつひとつの投稿に自分の感情が振り回されていることに気づきました。
それらの投稿を見た後、私の感情は必ずネガティブなものに変わっていました。
それに気づいてXをやめました。
その後、私のメンタルは見違えるほど安定していきました。
Xの持論を語る投稿なんて価値ない
Xでよくあるのが、「若い人ほど〇〇をしたほうがいい。実際僕の見てきたケースだと、これやってない人ほど年収低いです」みたいな投稿です。
Xのタイムラインに流れてきて、多くのリプライやリポストがついてるとなんか正しい気がしませんか?
こういう投稿が一日数十個流れてくるわけです。
そうなると全然違う主張をする人もいます。
そしてその投稿にも同じく多くの反応がついている。
そうなると何が正しいのかわからなくなります。
自分の意見と違う投稿でも、多くの人が共感しているんだと思って悲しくなったり、怒りを感じたりすることもあるでしょう。
ですが正直、これって無駄な時間だと思いませんか?
はっきり言いますが、Xの持論を語る投稿なんて無価値です。
Xは常に賛成意見と反対意見があふれています。
その中から何が正しいかを判断することはほぼ不可能です。
政治系のポストなんてまさに様々な意見で溢れかえっていますが、それらすべてにいちいち反応していたら身が持ちません。
Xの投稿を見ていると感情がジェットコースター並みに変動します。
それは自分が共感できる投稿を見たら嬉しくなり、共感できない投稿を見たら怒りを感じるからです。
そうして感情の起伏が激しくなるとどんどん疲れてきます。
もちろん、投稿を見ても何も感じない人もいるでしょう。
ですが、私みたいに感情が変動する人にとってはXの投稿を見るのは疲れると思います。
タイムラインをダラダラ見るのはやめよう
X自体をやめろと言っているわけではありません。
Xはいろいろな人達と交流できて、最新の情報も入手できる便利なツールです。
ですが、情報があまりにも溢れかえっているので情報のとりすぎには注意したほうがいいよということです。
ここで、情報にも2種類あります。
事実と意見です。
事実というのはたとえばニュースの報道それ自体で、意見というのはそれに対するコメンテーターの発言や、記事のコメント欄に書かれるコメントなどです。
事実を知ることは現代社会を生きるうえで大切なことですし、知っておかなければいけない情報もあります。
ですが意見は違います。
意見というのは所詮人それぞれの考え方です。
あなたにはあなたなりの意見があると思いますが、Xには様々な意見が溢れかえっています。
そこで自分の意見とは違う投稿を目にしたとき、怒りや悲しさを感じることもあると思います。
それがメンタルが不安定になる原因です。
Xには本当に色々な人がいます。
中には到底受け入れられないような意見もあります。
ですが、そういう人たちの意見は変えられません。
性格がねじ曲がっている人たちを直そうと思っても無理です。
世の中には完全に相容れない人がいます。
その人たちの意見に怒りや悲しみを感じ、言い返そうと思っても無理です。
こちら側の神経がすり減るだけです。
だから見るのをやめましょう。
好き放題言わせておけばいいんです。
その言葉をあなたが見なければ、その言葉は存在しないのと同じです。
私もカルト宗教から脱退した経験談をこのブログで書いていて、裏で好き放題言われているみたいですが全く見ないのでノーダメージです。
正直言って、Xの顔も見えないような人の意見に振り回されるのなんて馬鹿らしくなりました。
世の中には本当にいろいろな人がいます。
中には人を傷つけることでしか生きられない人もいます。
そういった人たちの相手をするのは無駄です。
彼らの性格は死ぬまで治ることはありません。
だから見なければいいんです。
Xの投稿で好き放題言われたとしても、見なければノーダメージです。
なのでXを見ることで感情が振り回されなければ全然いいんですが、私みたいに疲れ果ててしまう人もいます。
そのときはXから距離を置いてみたらどうでしょうか。
初めはSNSをやめて何が起きているか気になるかもしれませんが、慣れれば気にならなくなります。
文字のパワーは写真より強い
私はXをやめてインスタに乗り換えました。
なぜかというと、文字のパワーは写真よりも圧倒的に強かったからです。
写真は文字を入れない限り、事実しか伝えることができません。
ですが文字は事実も意見も伝えることができます。
自分と相容れない人の意見を吸収すればするほど、人は疲れ果てて気力を失っていきます。
なので私は文字が主体のSNSをやめました。
Xに限らず、私はThreadsやmixi2もやる気はありません。
SNSを見て疲れ果てるくらいならSNSをやめたほうがいいと思います。
それよりも友だちと遊んだり読書をしたりお出かけしたり、写真を撮ったりするほうが何倍も楽しいと思います。
Xに疲れ果てている人は一度Xから距離をおいてみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
親鸞会と浄土真宗学院のマインドコントロールの実態を暴きます
久しぶりに親鸞会のwikipediaを見てみたら、信者の方がwikipediaで親鸞会の宣伝をしてるみたいですね。
正直がっかりです。
私は中学生から高校生までの3年間、親鸞会の団体(浄土真宗学院)に所属していました。
中学生の私は生きる意味に悩み、真剣な気持ちで親鸞会に入りました。
親鸞聖人の教えであれば生きる意味が得られるはず、と。
ですが実際は救いは得られず、同じことの繰り返しで前に進まない求道。
「必ず救われるから」とマインドコントロールされ、その言葉を信じて3年間必死に救いを求めました。
「この絶望に満ちた世界から解放されたい」
しかし気づけば私は学校をやめ、友達もいなくなっていました。
親鸞会の教えがすべて虚構だったと気づいたとき、私は人生のどん底にいました。
もう私みたいな人をこれ以上生みたくないです。
大学生のうちから親鸞会にマインドコントロールされ、一度きりの人生を奪われ、最後はすべて虚構だったと気づく。
そのときにはもう手遅れです。
この記事では親鸞会のマインドコントロールの実態を暴きます。
XのDMから偽装勧誘
親鸞会は大学1年生を狙ってきます。
なぜなのか。
それは、受験が終わった大学1年生は大きな目標を失い、生きる意味を考えるようになるからです。
親鸞会は「人生の目的」という言葉で人を誘います。
中学受験が終わって燃え尽きていた私のように、大学生を狙うのです。
人によっては新しい環境で友達に馴染めず、苦しくなる時があると思います。
勉強も難しくなってモチベーションがなくなり、「なんのためにこの学部に入ったんだろう」と思う時もあります。
そんなとき、苦しんでいる人を狙って親鸞会はやってきます。
「あなたの苦しみはわかっている。でも人生の目的を果たせる時は来る」
こういうことを言われたら救われた気持ちになると思います。
そして徐々に親鸞会の教義を教えていき、マインドコントロールしていくのです。
コロナ禍以降、親鸞会はSNSを積極的に使うようになりました。
具体的には大学生の勧誘班がいて、XのDMなどで同じ大学の人に声をかけます。
何度か話して信頼感を持たせた後に、人生の目的の話に興味はないかと誘います。
そしてZoomを繰り返し、浄土真宗学院なら本当の教えが聞けるよと誘って入会させるのです。
ですが浄土真宗学院はまだ下層の組織で、より真剣になった人は親鸞会に入会することになります。
確かに、宗教は人の自由なので止めることはできません。
ですが問題なのは、勧誘するときに親鸞会であることを隠している点です。
親鸞会の問題のある教義や献金システムはすでにネット上で批判されているので、嘘をついて勧誘することで信者を獲得しています。
そして気づいた時にはすでに親鸞会の教義が真実だと思い込むようになり、後戻りできなくなります。
本当に許せません。
やり方が卑怯です。
嘘をついて勧誘し、未来ある大学生の夢を潰すなんて絶対に許されないことです。
批判対策に躍起
こうして私が親鸞会の批判記事を書いていたら、ある時期から私のブログのPV数がガタ落ちしました。
それは親鸞会が批判対策記事をネットに上げていたのと時期が重なっています。
「親鸞会批判の真実」というサイトがありますが、あれも親鸞会が作ったものです。
中立性はありません。
批判されたら批判し返す。
そのいたちごっこが延々と続きます。
私の主張は一貫しています。
「偽装勧誘をやめてほしい」
ただそれだけです。
ですが親鸞会側は一向に応じず、偽装勧誘を今でも続けています。
マルチ商法ではブラインド勧誘(偽装勧誘)は違法です。
宗教はマルチ商法以上に、人生がかかった大切なもののはずです。
それなのにこれからもずっと嘘をついて勧誘し続けるのでしょうか?
生きる意味に悩み、本気で救われたいと思っている人たちに嘘をついて惑わすのはやめてください。
勧誘するなら正当な方法で人を集めてください。
親鸞聖人はたとえ浄土真宗が国の力で弾圧されようとも、決して勧誘する際に嘘をつかれませんでした。
どんなときも自分の心に正直で、正しいと思ったことをひたすら貫かれた方でした。
今の親鸞会には親鸞会を名乗る資格はありません。
本当の浄土真宗の教えを伝えたいのならば、人から人へと心を込めて伝えるべきです。
嘘をついて罠にはめるようなやり方は決して許されないと思います。
最後に、もしあなたが親鸞会に勧誘されて疑問を持ち始めているのであれば、一度私と話をしてみませんか?
インスタのDM @shizuku1644 で待ってます。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
浄土真宗学院はカルト系新興宗教「親鸞会」の関連団体です。

このサイトにたどり着かれる方の多くにはX(Twitter)のDMから勧誘されて「浄土真宗学院」なるものへと誘導されてきたという大学生が多いです。
しかしここで断言します。
浄土真宗学院に入ってはいけません。
なぜかというと、浄土真宗学院はカルト系新興宗教「親鸞会」の関連団体であり、マインドコントロールへの入口だからです。
かくいう私もマインドコントロールされ昔は親鸞会の教義を信じて活動に明け暮れていました。
しかし、親鸞会の言う「絶対の幸福」という救済なんてありませんでした。
日に日に増す布教と献金の要求に私の体と心はどんどん疲弊していったのです。
浄土真宗学院の実態
この記事でも書いたように、親鸞会はまさしくカルト宗教団体の特徴にすべて当てはまっています。
もちろんその悪評はどんどん広がっていき、次第に「親鸞会」という名前を出すことはしにくくなっていきました。
これでは勧誘がしづらくなってしまいます。
そこでどうしようかと思いついたのが「浄土真宗学院」です。
名前の響き的に正統派の浄土真宗が学べるように思うかもしれませんが、西本願寺派とも東本願寺派とも全く関係はありません。
その証拠に、浄土真宗学院の公式ページの一番下に "Jodo Shinshu Shinrankai" という記載があります。
全く目立たないように配置されていますが、これこそが浄土真宗学院の母体であるカルト宗教団体、浄土真宗親鸞会です。
浄土真宗を名乗ってはいますが正統派の浄土真宗とは全く関係がなく、教義もめちゃくちゃで教祖の言いたいように改ざんしています。
その一つに、「献金をすれば救われるご縁になる」と言っていますが本来の浄土真宗とは全く違う教えです。
このように、浄土真宗の名を借りて全く違う新興宗教に人集めしているのが実態です。
勧誘の手口
では何が問題なのでしょうか。
最も大きな問題はその勧誘の手口です。
偽装勧誘とも言われる手口で、親鸞会であるということを明かさずに哲学の話題から徐々に誘導していくやり方を取っています。
やり口は悪徳マルチ商法や統一教会と何ら変わりはありません。
身元を明かさず嘘をついて勧誘しているのですから大きな問題だと言われて当然でしょう。
しかし、親鸞会内部では「嘘も方便」ということで嘘をついて人を正しい教えに導けるのであれば大いに素晴らしいことだとしています。
これでは他のカルト宗教と何一つ変わらないですね。
最近の主な勧誘手口はこうです。
まず、SNSで哲学に興味がありそうな大学生を見つけます。
次に、紳士的な個人を装ってさりげなくDMで話しかけます。
ある程度話したところでZoomしませんかと誘います。
そして話を重ねるうちに「もっとすごい人がいるから紹介するよ」と言って親鸞会講師や浄土真宗学院を紹介します。
マルチ商法と全く変わりないですね。
前までは大学の中に勝手に哲学サークルを作って徐々にマインドコントロールする手法を取っていたみたいですが、大学側の努力により被公認サークルは排除されていきました。
それで思いついたのがSNSの活用です。
DMの際の話しかけ方もマニュアル化されているようで、効率よく信者を獲得できる仕組みになっています。
勧誘するのは勝手なのですが、問題なのは母体が親鸞会であるということを隠したまま嘘をついて勧誘している点です。
これをブラインド勧誘といいます。
マルチ商法でブラインド勧誘をしたら即逮捕されていますが、宗教の勧誘についてはまだ法規制はないようです。
その法律の穴をつくようにしてグレーな方法で勧誘を行っている団体、それが浄土真宗学院です。
浄土真宗学院の内容とは
内容が気になって登録したくなったという方もいるでしょう。
簡単に解説します。
まずは因果の道理という自業自得の教えから始まり、人間の罪悪を説く内容になっています。
具体的には意業、身業、口業といって行いには心で思うこと、体でやること、口で言う事の3種類があるといいます。
そして心で思うことも罪とされ、最終的には謗法罪といい正しい教祖やその団体を心の中で悪く思うだけでも地獄行きであると教えられます。
もちろん口や体で悪く罵ることも地獄行きであるとされます。
そして、正しい教えを広めたりお布施をすることは信心決定(魂が救済され地獄行きを回避すること)のための素晴らしいご縁になるとされます。
つまりは布教と献金ですね。
そして最後には救われたかったらひたすら教えを聞いて精進してくださいと言われます。
というふうに、実際には浄土真宗の平等の救済とは真逆の選民思想が説かれるだけです。
真剣に浄土真宗を求めている人の邪魔にしかならないので登録するのは絶対にやめてください。
私の場合は3年で親鸞会から脱出することができましたが、人によっては30年後に脱会し財産も人間関係もすべてを失ってずっと後悔している方もいます。
そのような被害をこれ以上増やしたくないと思ってこの記事を書きました。
実際私が親鸞会で救済を求めて本当に救われたことはないです。
3年間必死にすべてを犠牲にしながら教えを聞きましたが、絶対の幸福にはなれませんでした。
でも3年では短いと言われました。
ですが、それなら浄土真宗で言われるすべての人が平等に救われるとは何なんでしょう?
時間とお金を注ぎ込める人だけが救われるのだとすれば、それは親鸞聖人の説かれた浄土真宗ではありません。
親鸞会は浄土真宗ではありません。浄土真宗の名前を勝手に使った新興宗教団体です。
そのことをわかっていただきたいです。
何かありましたら私のInstagram (@shizuku1644) で相談を受け付けているのでいつでもDMください。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
周りと比較して落ち込む癖が一撃で治る考え方。

以前の私は人と比べて成績が低い自分に悩んでいて、絶えず負の感情に支配されていました。
偏差値は50が平均だと言われるので、40ぐらいに落ち込むと急に気分が悪くなりました。
ですが、カルト宗教から脱会したり自殺未遂した経験を経てできるだけ自分と周りを比較しないように生きる方法を見つけたので、それをここで紹介しようと思います。
参考までに私のプロフィールはこちら。
なんで比較してしまうのか
まず、なんで私たちは自分自身と周りを比べてしまうのでしょうか。
それは単純で、周りと比べないと自分の立ち位置を知ることができないからです。
ただテスト70点を取ったと言われても、それ自体が良いか悪いかわからないですよね。
周りが10点とか20点の中で70点を取ればすごい優秀です。
反対に、周りが100点を連発している中で70点を取ればあまり良くない結果ということになります。
このように、私たちは自分と周りを比べないと自分の状況が良いか悪いかわからないのです。
ですが、そんなことを繰り返していたら自分主体の人生ではなく、周囲主体の人生になってしまいます。
周囲のできによって、自分に対する評価がその都度変わってしまうからですね。
田舎の高校の秀才が都会の大学に進学すると、今まで自分は頭がいいと思っていたのがそうは思わなくなるみたいです。
田舎の高校の中では周囲より頭が良かったその人ですが、都会の大学では周囲のほうが頭がいいんですね。
なので一気に自分自身への評価が変わってしまいます。
そのように、周囲の状況によって自分自身への評価が変わってしまうのが私たちの実態です。
ですが、こんなに周囲に振り回される人生で楽しいと思いますか?
自分は変わっていないのに、周囲が変わると自分が変わったかのように錯覚してしまう。
悲しいことですよね。
これでは自分の人生が他人に左右されているようなものです。
ということで、人と比べないで生きるにはどうすればいいでしょうか?
比較しないで生きるのは難しい
まず言っておきますが、比較しないで生きることは簡単ではありません。
理由は、生活のありとあらゆるところに比較があふれているからです。
頭がいい人がいれば、必ず頭が悪い人もいる。
身長が高い人がいれば、必ず低い人もいる。
収入が高い人がいれば、必ず収入が低い人もいる。
受験に合格した人がいれば、必ず落ちた人もいる。
こんなふうに、世の中には比較まみれです。
そして優れたほうの人はもてはやされ、落ちぶれたほうはいつもバカにされています。
ですが考えてみてください。
これじゃあ一部の人しか幸せになれないですよね?
落ちぶれたほうの人はどうするのでしょうか。
「頑張って勝ち組の仲間入りになれ」と言う人もいっぱいいますが、実は勝ち組の中でも分断が起きているのです。
こういう実験があります。
働きアリのうち、よく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。
働きアリのうち、本当に働いているのは全体の8割で、残りの2割のアリはサボっている。
よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。
よく働いているアリ2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の分担になる。
よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。
サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。
つまり、その一部のグループの中でもまた分断が起きて比較が始まるということです。
磁石はいくら切っても再びN極とS極に分かれます。
それと同じように、勝ち組の中でも勝ち組と負け組が誕生して、負け組の中でも勝ち組と負け組が誕生するということです。
年収1000万円以上のグループといっても、年収1000万円の人と100億円の人がいますね。
年収200万円以下のグループといっても、年収200万円の人と10万円の人(途上国の人たち)がいます。
その勝ち組や負け組の中でも分断が起き、どんどん比較が始まっていきます。
だから比較にはキリがありません。
一旦自分自身と周囲を比べ始めると、よほどのことがないと止まることはできないんですね。
そして一喜一憂の始まりです。
模試の結果で一喜一憂する人がいますね。
「前回はA判定だったのに、今回はB判定になった」
「偏差値が50を下回った」
というふうに、自分と周囲の成績を比較するだけで人生を終わらせていく人がいます。
ですが、私たちの成績自体は良くも悪くもないんですね。
どういうことでしょうか。
成績自体は良くも悪くもない
例えば、みなさんがテストで50点を取ったとします。
どうでしょうか。良い点数でしょうか。
それとも悪い点数でしょうか。
それだけではなんとも言えないですよね。
周りが0点を連発する中で50点を取ったとしたならば、ものすごく優秀ということになります。
ですが周りが100点を連発する中で50点をとったならば、かなり悪い点数ということになります。
ということで、その点数自体は良くも悪くもないんですね。
日本の中で英語をしゃべって浮かれていても、海外に行ったら全然通じないというのはよくある話です。
ですがその場合、その人の英語力自体は良くも悪くもないんですね。
普通の日本人と比べたら英語はうまいけど、ネイティブと比べたら下手というだけのことです。
なので、もともと「良い成績」「悪い成績」というのは存在しないんですね。
大体は理解されたでしょうか?
もう1つ例を挙げます。
例えば、みなさんが持っているシャーペンを思い浮かべてください。
そのペンは長いでしょうか。
短いでしょうか。
なんとも言えないですよね。
比較対象がないからです。
ですが、シャーペンと消しゴムを比べたらシャーペンのほうが長いですね。
でも定規と比べたら、シャーペンのほうが短くなります。
あくまで比較してそのペンが長いとか短いとか言っているだけで、そのペン自体は長くも短くもないはずです。
それと同じで、もしみなさんが自分の成績が低いと思っていたとしても、その成績自体は良くも悪くもありません。
周りと比較して低いというだけで、比較対象を変えればみなさんよりも勉強ができない人はいっぱいいるはずです。
でも、比較しないで生きれたらそのほうが楽ですよね。
そのままの自分で大丈夫
まず1つ目は、自分の姿をそのまま見ることですね。
いろんなところで瞑想がすすめられていますが、あれは自分自身に集中するためです。
なので比較対象をすべて取っ払って、自分自身に集中してみてください。
例えば自分の顔がかっこ悪い、可愛くないと思って生きている人もいるかもしれません。
ですが、そういうのも誰かとの比較です。
一度比較対象をすべて取っ払って、自分のことを正しく見つめる機会があってもいいと思います。
今まで成績が悪いと思って生きてきた人でも、比較しないで自分の成績を見てみると新しい発見があるかもしれませんね。
比較基準はいくつもある
どうしても比較はやめられないという人もいると思います。
そこで、比較の基準は無数にあることを知ってください。
テストの成績が悪いと言われている人でも、国語だけはすごく得意かもしれません。
そういう尖ったところは伸ばすとすごく役に立ちます。
私は古文と日本史、世界史がすごく苦手ですが、数学は得意なのであまり気にしないようにしています。
例えば、サッカー選手で野球が下手だからといって損することはあるでしょうか?
ありえないですよね。
自分が勝負できるところにエネルギーを注いで、自分の苦手なところは誰かにカバーしてもらえばいいのです。
ですが、学校では全教科平均的にできないとだめだと口酸っぱく言われますよね。
そういうところが嫌いです。
なので私は普通の学校では勝負できないと思ったので、通信制高校(ネットの高校)に乗り換えました。
結果的には大成功でした。
なので、みなさんも自分の個性を受け入れてくれる場所で成長するのが一番だと思います。
そのほうが人生も楽しいですね。
「ダメ」な人間は1人もいない
あなたは自分のことをダメな人間だと思ってしまうでしょうか。
もしそう思ってしまうなら、なんでそう思うのでしょうか。
人によっても差があると思いますが、理由はこんな感じだと思います。
成績が低い。
要領が悪い。
人の役に立っていない。
周りに迷惑ばかりかけている。
ですが正直言って、みなさんよりも成績が低くて周りに迷惑をかけている人はいっぱいいます。
そういう人と比べれば、成績は高いし周りに迷惑はかけていないということになりますね。
しかも比較基準は無数にあるので、みなさんが他の人を圧倒している部分もあると思います。
そういうことから考えると、本当に使い物にならなくてダメな人間というのはいないんですね。
犯罪を犯したことのある人でも、反省して更生できた人はいっぱいいます。
そういうふうに、絶対的に「ダメ」な人間は1人もいないというのが私が思ってることです。
PS.
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