「生きてる意味がわからない」
今のあなたはそう思っているのではないでしょうか。
「生きてる意味がわからない」と思って毎日暮らすのは本当に苦しいです。
毎日が同じことの繰り返しで、ふと帰り道に空を見上げると寂しい気分に襲われる。
やらなきゃいけないことは多いけど、それが自分の未来にどう役立つのかわからない。
誰しも最後は必ず死ぬし、避けようがないつらいことだっていくらでも降ってくる。
そんなことの繰り返しで、先の知れた未来に虚無感を抱いているのではないでしょうか。
そんなあなたに、13歳だった私が「生きる意味」を求めて宗教に入り、そして脱会して知らされたことを少し話したいと思います。
よければ最後まで聞いてみてください。
- 生きる意味を追い求めて
- <絶対の幸福>が生きる意味?
- 救われずに脱会することに
- 暴かれていく嘘
- やめるのが一番大変だった
- 生きる意味を果たせなかったとしても
- 生きる意味の見つけかた
- 生きてる意味がない人なんていない
- 生きる意味を取り戻そう
生きる意味を追い求めて
私は小さいときからずっと「生きる意味」に悩んできました。
友達は少なくて、ひとりで物思いにふけるのが好きでした。
でもそれは悪いほうに行くことも多くて、自分の存在の無意味さに気付かされることも多かったです。
両親の仲は悪くて、親から「お前に生きてる価値はない」と言われたこともありました。
家から締め出されたこともありました。
なので心の深いところにぽっかりと穴を抱えていたんだと思います。
そして時間が経って、中学生になりました。
中学受験して自分の行きたい学校に行ったんですが、まず宿題が多くて大変でした。
周りの環境も人間関係も全部が変わってしまって、しかも家から学校まで往復3時間以上の電車通学でした。
次第に体力もメンタルもすり減っていって、何のために自分が学校に通ってるのかわからなくなりました。
気づけばその感情は、「何のために生きているのかわからない」に変わっていました。
生きる意味がほしい。
自分の生きている意味が知りたい。
そんな思いで「生きる意味」とGoogle検索したのがすべての始まりでした。
<絶対の幸福>が生きる意味?
私がクリックしたサイトは、浄土真宗親鸞会という宗教団体の講師がつくったサイトでした。
「仏教ウェブ入門講座」というふれこみで作ってあって、私は不審を抱くこともなく内容を読んでいきました。
すると、そこにはこんなふうに書いてあったんです。
___________
人間は誰しも必ず死なないといけません。
死ぬときには一円も持っていけないし、今まで手に入れた名誉や友達も全部失うことになります。
しかし、実はこの世には絶対に崩れない「絶対の幸福」というものがあって、誰でもそれを手にすることができるのです。
死んでいく臨終のときでも崩れない「絶対の幸福」になることこそが私たちの唯一の生きる意味であり、この世で果たさないといけない人生の宿題なのです。
___________
学校にも家にも居場所がなく、真剣に「生きる意味」を考えていた私にとって、この文章は衝撃でした。
考えてみてください。
たしかに、どんなに友達をつくってお金を稼いで、好きな人と結婚してそこそこ幸せに暮らしたとしても、最後は必ず死ぬだけです。
死ぬときには今まで手に入れてきたものをすべて手放さないといけないし、ひとりぼっちです。
そう言われて、私はこの人の言っていることこそが本物だと確信しました。
救われずに脱会することに
そこから私はすぐにその宗教に入会し、親に隠れて活動を続けました。
生きる意味を果たすためだったらどんな犠牲でも払おう。
周りにどんなに反対されても死ぬまで求めよう。
そう思って日々活動していました。
その宗教の教えは、簡単に言えばこうです。
___________
法話を真剣に聞き続けていれば、いつかある瞬間が訪れて一瞬のうちに<絶対の幸福>に救われる。
その瞬間まで法話を聞き続けなさい。
___________
こうして私は毎日のように法話をZoomで聞き、<絶対の幸福>を目指して全力で生きていました。
正直に言うと、実はこのときとても充実していて楽しかったです。
自分の人生に<絶対の幸福>という生きる意味が生まれたこと、他の人が知らない真実を知れた(と思っていた)こと、そして「人を救えるようになった」ことがとてもうれしかったです。
というのは、親鸞会では「<絶対の幸福>にならないで死んだ人は地獄に堕ちる」と言われていたからです。
だからこの真実をみんなに伝えて、地獄に堕ちるのを助けてあげることができると思って勧誘までしました。
そう思い込んでいられるうちはとても幸せでした。
考えてみれば、自分は人を救うことができると思って生きてるのってとても充実感がありますよね。
人に感謝されるとうれしいし、人の役に立てていると思うとそれが生きる意味だと思えたり。
あなたもそういう経験をしたことがあると思います。
なので本当にそのときは充実感がありました。
自分たちだけが真実を知っている、最も幸せな集団だと思っていました。
ですが、それは長続きしませんでした。
暴かれていく嘘
あるとき、ふとネットで「親鸞会」と検索しました。
本当に好奇心で検索してみたんですが、無数の批判サイトが現れてきました。
批判サイトというのは親鸞会を批判するサイトのことで、多くが脱会した元信者によって書かれていました。
普段から「批判サイトを見るのは毒になる」と言われていたので戸惑いましたが、好奇心に押されてどんなことが書かれているか知りたくなってしまいました。
すると、とんでもないことが書かれていたんです。
まず、親鸞会会長が書いた「なぜ生きる」などの本が盗作だらけだというのです。
「なぜ生きる」は自分もいい本だなと思って大切に読んでいたんですが、大部分が他の人の言葉の無断転載だったというんですね。
そして会長が海外布教のたびに画廊で美術品を買い漁り、とんでもない量の絵画を買っていること。
F館という建物は5階建てと説明されていたけど、実は6階建てで6階部分が会長ルームになっていたこと。
そして、何より私が絶対に真実だと思っていた親鸞会の教えに誤りがいくつもあること。
これを知ったときはものすごいショックでした。
気づけば入信してから3年の年月が流れていました。
「これだけは絶対に真実だ」と思って必死に求道して、「このためならどんな犠牲を払ってもいい」と思ってやってきました。
その結果がこれでした。
最初は受け入れられませんでした。
自分が求めたものに限って嘘なわけがない…と。
そしてまた親鸞会の法話を聞いてみたんですが、全然身が入らなくて集中できませんでした。
人に話してもなにか罪悪感が襲ってきて、つらくて涙を流していました。
そして、「このまま続けるのは無理だ」と思ったんです。
やめるのが一番大変だった
今まで信じてきたものに裏切られ、ショックでうつみたいな状態がずっと続きました。
何よりも、親鸞会をやめた人生に生きる価値はあるのか。
今死んだら地獄に堕ちるんじゃないだろうか。
そう思うとやめた後のほうがつらくて、いっそのことまた入り直したほうが楽なんじゃないだろうかとすら思えてきました。
気づけば親鸞会に入る前の自分と大差なく、生きる意味を失って生きる気力を失いそうな日々でした。
親にもずっと隠してやってきたので相談できず、身近に頼れる人はいませんでした。
苦しくて落ち込んでいた私でしたが、あるとき瓜生崇(うりゅう たかし)さんという方を知りました。
瓜生さんは18歳で生きる意味を求めて親鸞会に入り、12年間講師をつとめてそして脱会された方です。
瓜生さんが宗教の脱会相談をされていると聞いて、さっそくメールを送ってみました。
するとすぐに返事があって、いろいろ悩みを打ち明けることができました。
生きる意味を失って悩んでいること、地獄に堕ちるかもしれないと思っていること、この先どうすればいいかわからないことを相談しました。
するとメールを書いているうちに自分の気持ちが整理されてきて、少し楽になりました。
瓜生さんに話を聞いてもらったり、好きなことをしたり、図書館に通って本を読んだりする中で、私は少しずつ世界の広さを知っていきました。
親鸞会だけが世界のすべてじゃない。
自分の生きる意味は自分がきっと見つけだせる。
そう思って生きています。
生きる意味を果たせなかったとしても
というのが私の体験でした。
私がこの体験をして特に伝えたいと思ったのはこのことです。
___________
生きる意味があるか、ないかという絶対的な真理を求めるのではなく、「どう生きれば生きる意味が生まれるか」を考えて生きよう。
___________
私たちは誰しも自分の生きる意味を求めて勉強したり、人を助けたり好きなことをしたりします。
でも最後は死ぬと思うとむなしいし、なにか絶対的な真理に身を預けたくなります。
<絶対の幸福>というような、絶対に変わらない幸せがほしいと誰もが思っているし、平穏な日々がずっと続いてほしいと思っています。
その気持ちは十分わかります。私もかつては<絶対の幸福>のためにすべてを犠牲にしてもいいとすら思っていました。
ですが、結局<絶対の幸福>は得られませんでした。
じゃあその人生は生きるに値しなかったかと聞かれたら、あなたはなんて答えますか?
きっとそんなはずはないと思います。
どんな人でも毎日がんばって1日1日を大切に生きているし、その過程こそが大切にするべきものなんじゃないかと思うのです。
「生きる意味を果たしたか、果たせなかったか」という視点では、果たせなかった人の人生は無駄だったことになります。
でも本当はそんなことはなくて、毎日毎日生きる過程に「生きる意味」が散らばっているのだと思います。
忙しくてそれに気づけていないだけで、あなたの人生は生きる意味にあふれています。
それに気づいたのが幸せなのかもしれません。
じゃあ具体的にどうすればいいかというと、私が最近読んだ本にとても感動することが書いてありました。
引用させていただきます。
ある中学生は、診察する私の前で挑みかかるようにその問いを投げかけた。
「なんで生きなきゃいけないの!」
彼女の声は怒りと悲壮感に満ちあふれていた。彼女は、そもそも父親が誰かもわからなかっ た。母親はつねに恋に夢中で、あまり家に寄りつかなかった。孤独な部屋の中で彼女は1日を過ごした。母親がたまに帰ってくる時は男連れだった。しかもその男は、彼女を性の対象にした。そうして家の中にも居場所をなくした彼女は、施設に預けられた。しかし、彼女は施設にも居場所を見つけられなかった。暴れ、さけび、リスカし、親切そうな顔で近づいてくるスタ ッフはみんな、彼女の罵声の餌食になった。
結局、誰の手にも負えなくなった彼女は、私のもとに現れ、そして入院となった。
そんな彼女からの「なぜ生きなければいけないのか」という問いは、切実だった。
ウソはつけない。たしかに今彼女が死んだとしても、泣いてくれる人はいないのだ。私は口を開いた。
「君が言うとおり、考え方によっては生きる意味はないと思う。今の君が死んだからと言って君の母親も泣かないだろう。それに、遅かれ早かれ、人間は結局、最後はみんな死ぬ。 君の言うとおり、君の生きる意味は私にはまだわからない」
私は続けた。
「でも、生きる意味がないと考えて生き続けるのは苦しい。だから「生きる意味があるか」という絶対的な真理を追い求めるより、「どう生きれば、生きる意味が生まれるか」を考えてほしい」
それは、彼女にとって厳しい言葉だったと思う。彼女は黙りこんだ。でも、たしかにそれは届いていた。
騒乱の季節が何度かすぎた。施設から何度も入退院を繰り返した。 でも、18歳を迎え、多少落ち着きを得た彼女は、施設を出て、就職することになった。住みこみの職場だった。
別れ際に彼女は私に言った。
「仕事でお金をためたら、まず運転免許をとるよ」
それは、彼女が見つけた、たしかな生きる意味だ。
免許をとるなんて、君にはちっぽけなことに思えるかもしれない。でも、私は、人の生きる意味はつねに目の前の生活の中にあると信じている。
半年後、彼女は目標を実現した。 そして、今も確実に社会で生きている。
何を大切にして生きるかは、他の誰でもない、自分自身で決めなければならない。 病気にかかろうが、かかっていまいが、その問いから目を背けるならば、幸せは訪れない。
逆にいうと、たとえ病気になったとしても、自分の大切にすることを決め、自分のできる範囲でそれを行い続けるならば、そこにはたしかな生きる意味がある。結局、生きる意味は生きたあとにしかわからないのだ。
14歳の君に伝えたい。
自分が大切にするものを生活の中で見つけなさい。
そして、今できることを行いなさい。
それを続ける限り、君はきっと「生きぬく」ことができる。
宮田雄吾 「14歳からの精神医学」より
「どう生きれば、生きる意味が生まれるか。」
この言葉を胸にとどめて生きていってください。
きっとあなただけの生きる意味を見つけられるはずです。
私もこの言葉に勇気づけられ、自分の生きる意味を探しました。
「どう生きれば生きる意味が生まれるか」を考えました。
そして見つけたのが、心の病の研究者になって多くの人を救いたいという夢でした。
生きる意味なんて何でもいいんです。
あなたが生きるモチベーションになるものであれば。
彼女の場合はそれが「免許をとる」ことでした。
生きる意味は気がつかないだけで日常に転がっているのだと思います。
生きる意味の見つけかた
私の場合は図書館に通うことが生きる意味探しの手助けになったと思います。
図書館に足を運んで、あまたの本の背表紙を眺める。
「これだ!」と思うものがあったら手に取って、パラパラめくってみる。
「なんか違うなー…」と思ったら戻す。
「まさにこれ!」と思ったら借りて家で読む。
そんなことを繰り返していくと、あなたの中の興味や信念が浮き彫りになってくると思います。
すぐに見つからなくても大丈夫です。
焦らずゆっくり探していけばきっと見つかるはずです。
それでも「うーん…」ってなってしまう人は、次の質問に答えてみてください。
「今日が人生最後の日だったら、あなたは何をしますか?」
その答えがあなたの生きる意味に非常に近い核です。
私の場合は、「心の病で傷ついている人を癒したい」でした。
核が決まったらあとは具体的に掘り下げていくだけです。
生きる意味、っていってもそんなに身構えるものではないと思います。
人それぞれに生きる意味が必ずあって、その通りに自由に生きてけばいいだけです。
たまに「生きる意味は○○の力で救われることだ」とかいう宗教がありますが、それは違うと思います。
生きる意味は1つではありません。
あなたが自由に選べるものです。
そう思うと気が楽になりませんか?
生きてる意味がない人なんていない
生きる意味はその人自身が決めることであって、他人が決めることじゃないです。
それなのに「障害者は生きてる意味ない」とかいう人がいると悲しくなりますね。
生きてる意味がない人なんていません。
理由は、誰でも自由に生きる意味を決められるからです。
だから「お前は生きてる意味ない」「生きてる価値ないよね」って言われても落ち込まないでください。
あなたにはあなたの生きる意味があって、自由に選べるので。
だから大丈夫です。
"It's your life, live it your way" (あなたの人生だ、あなたの好きなように生きなさい)という言葉があって、私はこれが大好きです。
あなたの人生は他人が決めるものじゃないです。
さっきの本に書かれていたように、「どうすれば生きる意味が生まれるか」を考えて生きるのが大事なんだと思います。
生きる意味を取り戻そう
生きる意味、というと大げさですがつまりは生きるモチベーションのことですね。
私は人生を充実させるためには生きる意味をはっきりさせることが必要だと思います。
私の実体験はこの記事で余すことなく語ってますが、生きる意味を失うと人は途端に元気がなくなって病んでしまいます。
自殺の理由も「生きる意味がないから」というのが根幹にあると言われています。
なので生きる意味、生きるモチベーションを見つけることが人生を輝かせる鍵になるんですね。
人生の途中で何度か生きる意味を失うかもしれません。
私もそうでした。
ですが、失ったらまた取り戻せばいいんです。
失うたびに取り戻せば、あなたの人生はきっと最後まで輝くものになると思います。
一度きりの人生を輝かせるために、生きる意味探しをぜひしてみてください。
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